【プライベート】野田洋次郎の感性を作り上げた生い立ちは?

音楽

関ジャムに出演のRADWIMPS野田洋次郎さん!

感性が豊かで、彼の音楽に対する考えや曲作りには
他のアーティストたちも興味深々のようですね!

しかし野田洋次郎のプライベートはあまり知られておらず、

どんな幼少期をおくってきたのか?
どのように育てられたのか?

など、彼の音楽のルーツを探るとともに
生い立ちについて調べてみました!

野田洋次郎のプロフィール


出典元:FASHION HEADLINE

本名:野田洋次郎
生年月日:1985年7月5日
出身:神奈川県
学歴:桐蔭学園高校
慶應義塾大学環境情報学部中退

RADWIMPSのボーカル、ギター、キーボード担当
自身でほとんどの作詞作曲を手掛けていて
他のアーティストへ楽曲の提供などでも有名である

筆者の個人的な好みでは
Aimerに楽曲提供した「蝶々結び」
という曲をはじめて聞いたときは
野田洋次郎氏の天才的な感性に
感動したのを覚えている。

映画「君の名は」の主題歌
前前前世 はあまりにも有名で
RADWIMPSの代表的な曲

野田洋次郎には人の心をつかむ作詞力と
脳に刷り込まれる‘メロディーを作る才能を
感じてやまない。

野田洋次郎の生い立ちは?

父の仕事の都合で
小学校入学から10歳までを
アメリカで過ごしている

そのためSNSではたまに英語の投稿もみかける

帰国子女が多い慶應義塾大学の
環境情報学部に在籍していたこともあり
日本でも英語の環境に身をおいていた
ことがわかる。

著名人も多くトリンドル玲奈もここの卒業生

中学から大学まで私立に通っていて
裕福な家庭環境だったのが想像できるが

転校が重なった幼少期や
アメリカ文化で育った影響もあるのか
まわりに馴染むのは少し苦手そう

”10~20代前半まで友達がいなかった”
とも本人が語っている。

野田氏からは、どこか
少し心を閉ざしているような

謎多き雰囲気と、
好きな事に熱中して

好きな人に囲まれて生きる
という信念も感じる。

日本はどちらかというと
まわりに合わせて
みんなとうまくやっていく
という風潮が強いが

海外で育った10年間や
転校が多く、友達が少なかった思春期
が彼の音楽へ大きく影響していると感じた。

野田洋次郎の父親は?

ネット上の噂では、
大企業で働く父親と紹介されていて
アメリカで育った経緯なども納得。

本人のインスタグラムで投稿された父(当時30歳)
の写真は洋二郎氏そっくり!

野田氏がまだ幼い頃に
アメリカのナッシュビルに
家族で引っ越しをしている

噂では父親はフランス国籍
日産で働いていたと言われているが

洋次郎氏がナッシュビルで通ったと
いわれている小学校
Scales エレメンタリースクールは
ナッシュビルから(車で60分程)離れた
マーフリーズボロという町にある。

もし父がナッシュビルで働いているのであれば、
わざわざ1時間も離れた町に住むだろうか?

海外駐在の場合は会社からの
家賃補助が手厚いので
父の勤め先がマフリーズボロ
という町にあったと考えるのが
普通である。

当時は人口約8万人程の小さな町
そんな郊外にある日本企業
勿論限られている。

調べてみるとマーフリーズボロに
YASHIMA USAという自動車の
パーツを取り扱う日系の会社が存在する。

しかしアメリカ支社の立ち上げが
2012年だとされているので
この会社ではなさそうだ。

ナッシュビルのあるテネシー州には
日本の自動車メーカーや企業が多く
進出しているらしく、

野田洋次郎氏の父親が
「日産」で働いていたという情報
おおかた間違いではないかもしれない。

そんなお父さん、かなりのピアノの腕前
大企業で働いていたサラリーマンとは思えない
レベルの演奏をインスタグラムで公開している。

ちなみに母もピアノの先生で、
生まれながら音楽に触れる環境で育った
野田洋次郎の天才的な感性に納得である。

野田洋次郎の交友関係は?

唯一野田氏のプライベートを垣間見ることができる
インスタグラムではたびたび親密そうな著名人との交友関係を
みかけることができる。

松田龍平

映画『泣き虫しょったんの奇跡』が公開される。将棋界で実際に起きた感動のサクセスストーリーを描いた本作で、幼馴染役として初共演を果たした松田龍平と野田洋次郎

映画で共演をしている二人だが、
もともと交友があったことで知られている。

写真から見てとれるほど本当に仲がよく、
映画の撮影時期は野田のキッチンに、
松田龍平がいることのほうが
多い時期があったらしい。

 Taka ‐ One OK Rock

たびたび投稿に登場するTaka
最近のロック界で注目の二人が
インスタライブでゆるく対談する姿は
とても貴重でした。

コロナの影響で音楽活動ができなくなり
同じ境遇のふたり。

英語が流暢だったり
音楽のジャンルが一緒だったりと
共通する部分がおおく仲がいい。

 

10代から20代にかけて
交友関係が少ない時期もあったようだが

メジャーデビュー後
多くの人が野田洋次郎の才能に惹かれて
今では多くの音楽関係者や
著名人とも交友関係を築いている。

これからの野田氏に大きく影響を与えて
今後の活動の原動力になっている
のではないだろうか。

まとめ

野田洋次郎の育った環境を調べる事で

幼くしてアメリカで過ごした経験や
引っ越し続きで周りになじめなかったこと

そんな中でも両親の音楽好きが影響し
常に生活の中に音楽があり
自分と向き合っていた過去が

野田洋次郎の天才的な感性を
育ててきたんだとわかりました。

これからも、彼の独特な感性で
たくさんの音楽を届けてほしいです!

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